踊る肉団子の甘酢かけ
この名前にピン!ときた方はそうとう昔から角田さんを知っていることになります。昔からファンである角田さんについて、データベースを作ってみました。今では歌手に声優にと活躍中の角田信朗さんについて、記載していきます。
踊る肉団子の甘酢かけとは
とんねるずの生でダラダラいかせて!!という番組内のエアロビクス対決のコーナー。静岡県清水市(当時)で実際に開催されていたエアロビクス大会に出場するべく、
- 「エアロ奈美恵」(諸星和己、福澤、宍戸開。福澤勇退後にデビット伊東が加入)
- 「チーム踊る肉団子の甘酢かけ」(木梨、にしきの、角田信朗)
- 「極悪非道のダンスユニット・芯」(石橋、定岡、長嶋一茂)
の奮闘する様子を放送した。
ダンスのBGMは3組とも「サンバ・デ・ジャネイロ」のリミックスを使用し、チーム肉団子はさらににしきのの「空に太陽がある限り」や西城秀樹の「ギャランドゥ」をミックスして使っていた。
視聴者にも振付けを覚えてもらう為、音楽に合わせ「起きてしゃがんで見栄切って」といったユニークな振付けナレーションを福澤が付けていた。
各チーム健闘したものの、芸能人ゆえの練習日数の少なさから、大会での成績は振るわなかった。特に口ばかり達者だった「芯」は、当然のように最下位の屈辱を味わった。
このエアロビクス大会は静岡放送で録画放送され、生ダラチームの演技も実際に放送された。
角田 信朗
角田 信朗は、日本の男性空手家、歌手、俳優。大阪府堺市出身。正道会館最高師範(六段)、K-1競技統括プロデューサー、レフェリー。タレント・俳優としても活動している。奈良県立生駒高等学校、関西外国語大学外国語学部英米語学科卒。英語科教員免許を所持しており、英語がきわめて堪能である。
| 本名 | 角田信朗 |
|---|---|
| フリガナ | カクダノブアキ |
| 誕生日 | 1961年4月11日 |
| 星座 | おひつじ座 |
| 出身地 | 大阪府堺市 |
| 肩書 | 正道会館空手 最高師範 |
| 特技 | 関西外国語大学英米語学科卒業 英語教員免許取得(中学1級、高校2級) ギネスブック認定バット折り世界記録保持者 |
| 性別 | 男性 |
| サイズ | 身長174cm 体重95kg B・128cm W・95cm H・105cm S・27cm |
| 血液型 | AB型 |
| 趣味 | エアガン プラモデル作り ゴジラグッズ集め |
| 特技 | 料理 ものまね 英会話 社交ダンス |
| 家族 | 妻 長男 長女 |
| ペット | 犬(アプリコットトイプードル) |
| 好きな色 | ブラック チャコールグレー |
| ジャンル別作品 |
|
主な出演
バラエティ
- 角田信朗チャンネル 魂のもと(GAORA)SPORTS格闘技
- クイズ☆タレント名鑑USC 史上最大ガチ相撲トーナメント(TBSテレビ)行司
テレビドラマ
- 北条時宗(2001年NHK大河ドラマ) - 壱岐守護代・平景隆
- まんてん(NHK朝の連続テレビ小説、2002年 - 2003年) - 黒田正巳
- 特命係長・只野仁(3rdシーズン)(2007年)第27話 - 暴力団組長千崎(元・只野の武術の師匠)
- 天地人(2009年NHK大河ドラマ) -柿崎晴家
- 龍馬伝(2010年NHK大河ドラマ)-来島又兵衛
映画
- ミナミの帝王/劇場版スペシャル(1996年) - やくざ(英語の通訳担当)
- ウルトラマンゼアス2 超人大戦・光と影(1997年) - 正道会館師範
- ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃(2001年) - 実戦部隊隊長
- ゴジラ FINAL WARS(2004年) - テレビ討論会パネラー
テレビアニメ
- ポケットモンスター(2001年) -シジマ
- ケロロ軍曹(2004年) -モアの父
- 蒼天の拳(2007年) - 大川奉作
劇場版アニメ
- キン肉マンII世 second generations(2001年) -ナレーション
- 真救世主伝説 北斗の拳 ラオウ伝 激闘の章(2007年) - 赤鯱
吹き替え
- スパイキッズ3-D:ゲームオーバー(2003年) - トイメイカー(シルヴェスター・スタローン)
ラジオ
- 角田信朗 傾いて候 よっしゃあ! (TBSラジオ)2011年1月31日 - 2012年2月20日
CM
- エスエス製薬『エスカップ』(CMソング歌唱)
- ジーベック (被服業)『ジーベック』ブランドCM
- 静岡第一テレビ『地上デジタル放送開始告知』
- テレビ岩手『地上デジタル放送開始告知』
- バイオテック『企業イメージ』
- 東海漬物『きゅうりのキューちゃん』(※過去)
- 電激倉庫(東北地方にて店舗を展開していた家電量販店チェーン)
CD
シングル
- おは!かぞえうた(2001年6月21日、「角田師範with番長」名義、キティMME)
- 『おはスタ』挿入歌、『いなかっぺ大将』主題歌『大ちゃん数え唄』の替え歌。編曲・プロデュース小西康陽
- Muscle Beat(2001年7月14日)
- 映画『キン肉マンII世』テーマソング。作詞も自ら担当。
- ケロッ!とマーチ(2004年5月21日、「角田信朗&いはたじゅり」名義)
- テレビ東京系テレビアニメ『ケロロ軍曹』初代オープニングテーマ。
- KERO'T MARCH ソラミミングリッシュであります!(2007年3月17日)
- 映画『劇場版ケロロ軍曹2 深海のプリンセスであります!』オープニングテーマ。「帰ってきたケロッ!とマーチ」カップリング曲。
- 傾奇者恋歌(2007年8月22日)
- 『CR花の慶次 -雲のかなたに-』主題歌。
- よっしゃあ漢唄(2009年3月4日)
- 『CR花の慶次斬』主題歌。
- 修羅の果てまでも/義風堂々!!(2010年3月24日)
- 『CR花の慶次愛』主題歌。
アルバム
- Fist of Fury(2002年4月3日)
- 『ブルースリー生誕60周年記念映画「フィスト・オブ・フューリー 復活!ドラゴン怒りの鉄拳」オリジナル・サウンド・トラック』収録。
- 天てれ歌まくら(2002年5月18日)
- 『Jump In The Line』収録。
アンディ・フグの最期
2000年10月9日のK-1 WORLD GP 2000 in FUKUOKAでのトーナメントに出場する予定だったが、大会の2か月前の8月24日午後2時に正道会館で記者会見が行なわれ、アンディが急性前骨髄球性白血病(APL)によって危篤状態であることが発表された。病気のことは周囲に心配を掛けることを嫌い、家族にすら内緒にしていたという。
病状を直前まで知らされていなかった角田信朗が慌てて病院に駆けつけた時には、既にアンディは声をかけても反応できない状態にあり、やがて心肺停止状態に陥った。しかし角田が「何してんねん!」「アンディ、ファイト!」「ハンズ・アップ!(「構えろ!」)」「試合はまだ終わっていないぞ!」と声をかけると、アンディの心肺機能が一時復活した。アンディは角田の呼びかけに3度応えたが、4回目には応えず、心肺は停止した。その時、側にいた主治医は「角田さん、アンディは3度立ち上がった。ドクターストップです。もう休ませてあげましょう。」と言ったという。また、死の床でアンディは、日本での活躍の場、K-1での活躍の場を提供するきっかけを作った正道会館の石井和義館長(当時)に、「I Love You. 館長。」と語りかけ、石井は「I Know. わかっているよ。」と答えたという。2000年8月24日午後6時21分死去。葬儀は本人の希望により日本式の仏式葬儀で行なうことになり、2000年8月27日の告別式はテレビで生中継された。
最初の報道ではアンディが急病(病名は明らかにされていた)で緊急入院したことだけが発表され、自身による復帰を約束するメッセージが伝えられた。さして間もなく、彼が実は危篤状態にあるとの情報が世間に伝えられ、翌日にはその死が国民の知る所となった。結果的に、彼の闘病生活の存在自体が死の直前まで伏せられていた形となった。
探偵!ナイトスクープ
1999年3月5日放送「世界最強!徳田流格闘術」の回に出演。自己流の格闘術を編み出したという依頼者(19歳)から、「徳田流格闘術を広めたいのだが、誰も興味を示してくれない。唯一の弟子である弟(16歳)も、最近呆れ気味である。この格闘術の強さを証明するために、プロでかつトップレベルのファイターと戦いたい。自分は真剣だ」との依頼が来た。しかし、本人達は本式の格闘技の経験がなく小柄、実際の動きを見ても、依頼者はタックルといくつかの関節技を知っている程度、弟のほうは立ち技が兄より少しましなだけといった有様で、探偵リポーターや会場からは失笑が漏れていた。アンディは番組後半に、兄弟の決戦の相手(レフェリーは角田信朗)として登場。兄弟が順番に戦ったが、いずれも手も足も出ず、アンディの足技にさんざん弄ばれるような形で惨敗。勿論アンディは本気は出していなかったが、試合中の目は真剣そのものだった。さんざんな結果であれ、やられても果敢に立ち向かってきた兄弟にアンディは敬意を払い、依頼者の目を見つめて「自己流で格闘技を行ない『自分は強い』と言う君を世間の人は笑うかもしれない。しかし私は、決して君のことを笑わない。なぜなら、私も少年の頃『空手の世界チャンピオンになる』と言って皆に笑われたにもかかわらず、K-1のチャンピオンになれたからだ。誰にでもチャンピオンになれる可能性がある。だから私は手を抜かず真剣に君の試合の相手を務めた。私は君を笑わない」(角田訳)と話した。なお、この回はアンディが死去した直後に多くの視聴者から再放送の要望があり、追悼の意を込めて後日再放送された。